top of page

アジアパラ競技大会


10月1日からジャカルタで行われたアジアパラ競技大会に行ってきた。

今回は初のアジア大会参加ということで、いささか緊張した。

しかし、国際試合は4回目。今までは一番落ち着いていたように思う。

今回の大会も出発時からトラブルがつきまとう。

家を出発してから車椅子のマット、サイドガードをタクシーの屋根に乗せたまま高速に乗り、

そこで運転手さんが気がつき、予備を家まで取りにいくという波乱の幕開け。

大会前から出きていた褥瘡が6時間飛行機に乗ったことで、更に悪化した。

3日目からはお腹も下すという。なんとも情けない。

パラスポーツを、日の丸を背負って競技するということは、相当タフでなければできないということが

あらためて分かった。特に私のような完全麻痺には心と体が鋼のように強靭でなければ耐えられない。

今まで何気なくパラスポーツを見てきたが、競技もさることながら、日常の生活から戦いが始まっていると痛感させられた。

試合に悪影響を及ぼすと考えられたこの出来事は、試合に全く影響がなかった。

試合とこれまでのトラブルを切り離して考えることができ、自分自身の成長を強く感じた。

結果は625点、22人中15位とまずまずの成果だといえる。

前回の世界選手権の最下位と比べると、かなり落ち着いてプレイできた。

課題である、試合への入り方は完璧ではないにしろ、手応えを感じた。

特に6シリーズ目は106点を出し、完全にゾーンに入り、全く外れる気がしなかった。

これは今後の大きな自信につながる。

これまでの射撃だけの国際試合と違い、多くの種目の選手と触れ合うことができ

得たものは大きい。また、沢山のボランティアの人が大会を支えている。笑顔で挨拶をしてくれることに感動したが、日本人には日本語で、韓国人には韓国語で答えていたのが印象的だった。これが思いやりというものだと肌で感じた。2020東京では日本人らしい思いやりを考えていきたい。


bottom of page